平田篤胤は「神胤」という概念を使って、天皇と民を結びつけた。本居宣長までの国学は、基本的に天皇と神々の関係に終始することが多かったが、篤胤は祝詞なども活用して、庶民もまた「神胤」であると位置付け、庶民をも尊皇思想にいざなっていった。
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商人ナショナリズムを打破し、土と太陽に帰れ
現在の国家の仕組みは、グローバル資本に都合の良いように作り替えられている。FTAなどの自由貿易協定しかり、マニュアル化、機械化、AI化する労働しかりである。こうした資本の動きに対抗するには、資本の論理によらない部分を守り育てていくよりない。国の伝統であるとか、共同性であるとかは、そういう観点からも見直されるべき存在だ。
副島種臣の外交①─イギリス公使に阿らず
高圧的な姿勢をとる列強に対して、外務卿副島種臣は決して怯まず、阿らなかった。以下、丸山幹治の『副島種臣伯』に基づいて、英国公使に対する副島の態度を紹介する。
副島が外務卿に就任したのは、明治四(一八七一)年十一月のことである。当時、英国公使パークスは、わが国の大臣、参議等を小児のように扱っていた。パークスは、外務卿に就任した副島に対しても、例の恫喝的な口調で外交上の話を持ち出した。副島は、一言の下にそれを刎ねつけたのだった。
パークスは、血相を変かえて副島に言う。
「それならば戦争に訴えるしかない。従来の国交も最早これまでだ」
副島は一歩も引かない。
「国際の礼儀を弁えない足下のような人は、公使としては待つことができない。貴国政府がそのような態度であるなら、帝国政府も考えなくてはならない。これ以上の談判は無用だ」
そう言って席を立とうとした。
パークスは狼狽した。そして「どうも失言をして申し訳ない。戦争などはもっての外である。どうか今一度懇談して見たい」
と折れたのである。
副島は大いに笑って、「いや、御安心なさい、今言ったのは戯談に過ぎない」と語ったという。後にパークスは「自分は清国の総理衙門に対する筆法で日本に臨んだが、副島には飛んだ失敗をしが。彼はなかなかの人物である」と振り返っている。
副島は、外務卿として、傲慢な外国公使に対して一歩も仮借しなかった。明治五年、新任の英国公使ワトソンが西洋の習慣に沿って立礼によって天皇陛下に謁見を賜りたいと副島に申し出て来た。
これに対して副島は、「外国使臣がその国に入ってその国の礼に従うことは万国公法上当然のことである。日本の皇室は古来、立礼を御用いにならない。立礼でなければ謁見を望まぬというなら、それで宜しからう」と、はっきりと返答した。ワトソンは一言もなく、謁見を見合せた。
まもなく、ロシアとアメリカの公使は立礼、座礼のどちらでも仰せに従うから、謁見したいと申し出てきた。そこで、副島はその手続きを取扱った。
いよいよ謁見となり、座礼にしようとしたところ、陛下には御立礼を遊ばされたのである。両公使は非常に感激して退いた。これを聞いた英国公使は大いに恥じ入ったという。
その年五月、英国はどのような御礼式にも従うとして、改めて謁見を願い出た。その時も陛下には御立礼を遊ばされた。
わが國體を列国公使に説いた副島種臣
明治四年十一月十七日、大嘗祭が行われた。翌十八日には列国公使に賜餞があった。この場で、副島種臣は次のように大嘗祭の趣旨を述べている。
「昨日、大嘗祭首尾能済て愛たき事極りなし。此祝は天皇一代に一度必ず無くて叶はざるの大祀なり。然れども此度の如く日本全国にて祀りたるは久く年序を経たり。我国民生しでてより以来君主有りて数千歳を経、人民数千万を藩殖せるの今日に至ても猶其昔の君主の統系変ずることなし。此の如きは外国にも珍らしき事なるべし。然るに其の中種々の弊発りて、武臣権を擅(ほしいまま)にし、将軍と云い或いは大名と云う者出来て私に土地を擁し一向君主の権世に行はれざりしが聞知せらるる如く四年前より尽力して大改革の事件漸く整い此大嘗祭を行うに至れり。偖我が天皇の世系連綿絶る事なきは日本国民の幸なるに其権今日に興り全国一主の統御に帰して我民の幸を更に重ぬる事は言に及ばず。我と交る外国人の幸となる事疑ふべからず。此祭の功徳貴国にまで及ぶものあらば即ち貴国君主並に大統領の幸となるべし。今ま貴国と我と両国君主大統領並に其人民の為に之を祝し一盃を勧むるなり」
『副島種臣先生小伝』は以下のように述べている。
「先生が大嘗祭の意義を述べて、我が國體の世界無比なる所以を知らしめたことは、我が国威をして燦然たる光輝を放たしめたものである」
河上肇という人物
小野耕資氏『義憤の人 陸羯南』出版記念講演
『国際社会は愛国心の競争である―明治時代の先人に学ぶ日本の使命』
「国際社会は愛国心の競争である」―。そう説いたのは明治時代の新聞記者にして日本の保守言論人の元祖ともいうべき陸羯南(くがかつなん、写真)です。羯南は愛国心を高らかに謳い、政府以上に愛国的な立場から、外国に甘い藩閥政府を厳しく批判しました。しかしこうした羯南の事績は、現代日本社会ではほとんど伝えられていません。羯南は何を論じ、何を批判し、どんな生き様の人物だったのでしょうか。
そして、歴史は単に紙上に求めるだけではいけません。羯南が説いた愛国の道を現代日本社会に応用すればどうなるか。新型コロナウイルスの蔓延、日米同盟、TPP、新自由主義的政策などに対し、私見を論じます。また、明治時代の人々は現代よりもはるかに国の運命に真剣でした。羯南や同時代のエピソードは、「カネだけ今だけ自分だけ」の現代人に強い示唆を与えてくれるでしょう。
【講 師】小野 耕資(おの こうすけ)氏 大アジア研究会代表
昭和六十年神奈川県生まれ。平成二十二年青山学院大学文学研究科史学専攻博士前期課程修了。会社員の傍ら、『月刊日本』、『国体文化』等に寄稿。 大アジア研究会代表、崎門学研究会副代表。月刊日本客員編集委員。里見日本文化学研究所研究員。
著書『資本主義の超克-思想史から見る日本の理想-』(展転社)。
新刊『義憤の人 陸羯南』(仮題)(K&Kプレス)今年5月発売予定
【日 時】令和弐年5月24日(日)14時30分~16時30分(開場:14時10分)
【会 場】文京区民センター3階 3-C会議室(文京シビックセンター向かい側)文京区本郷4-15-14 03-3814-6731
【参加費】事前申込:1500円、当日申込:2000円、事前申込の学生:500円、高校生以下無料
【懇親会】17時~19時頃 参加費:事前申込3500円、当日申込4000円
【申込先】5月23日21時迄にメール又はFAXにて(当日受付も可)(懇親会は5月22日21時迄)
FAX 0866-92-3551 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp (千田宛て)
【主催】千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50